朝9時半に自宅をでて実家到着は12時過ぎ
そして高尾にある「うかい竹亭」到着は13時をとうに過ぎていた。
中央道も大渋滞、連休にでかけるなんてめったにないから
本当に渋滞してるのね~と妙に感心。
息子のipodをずっと車内で聴いていた。
風味堂というグループがいいなと、今u-tubeで聴いている。
三鷹の料金所を過ぎて、ハーレーダビットソンが走っていた。
「そういえば、M病院に勤務していた頃、毎日ナナハンで送り迎い
してもらっていたわ」と言うと、「ふ~ん、タックンかぁ」と息子。
「タックン??」「タクシーの代わりだよ」
タクシー・・・か。
川越街道でメットを持って毎朝待っていると
ナナハンで迎えに来てくれたのはO君だった。
頼りになる弟のように思っていた。
帰りも仕事が終るのを待っていてくれて自宅まで
送り届けてくれた。
メットをつけ、後ろに座りO君の腰に腕をまわすのはいつも
躊躇われた。
ゆったりと本当に安全運転だった、とても優しい運転だった。
彼の人柄そのままだった。
「彼と一緒になったらどうだろうか・・・」確かに頭をかすめた記憶がある。
年上のファザコン女では、O君が可哀想だな・・・そう思った。
麻酔科の標榜医の資格をとり退職することになり
いつしかメットも部屋の片隅に置かれるようになった。
姉のように思っていて親切にしてくれてると思っていたけれど
随分あとになって、そういう対象でみていたと人づてに聞いた。
その後結婚してお子さんをもうけられたと、風の便りにきいた。
O君、ありがとうね。
二人で聞いた風の音、ずっと覚えている・・・