小さな女の子が父親に抱きかかえられているのを
みると、いつも不思議な気持ちになっていく。
それは、羨望なのだろう。
亡くなった父も私が小さい頃はとても可愛がったそうだ。
飯田の病院で母が出産したときは
うれし泣きをした父だそうだ。
物心ついたときは、私にとっては恐怖の人だった。
理解できない理由の見つからない怒りを撒き散らす人だった。
幼い頃は、ただただ怖い男の人。
思春期は、嫌悪感で一杯で口もろくにきかない人となっていく。
そんな人だったが、結婚式前夜には妙に嬉しそうに
私に親しげに話しかけた人だった。
白々しくて、嫌な気持ちになり不機嫌にかわした娘だった。
なんて親不孝な娘だろう、今は心根の腐った
度量の狭い娘だったと省みる。
父が急死した時、母からの悲鳴にもにた電話で駆けつけた時は
既に瞳孔が散大していた。
哀しいという感情は、あるとき突然溢れてくる。
亡くなって1年くらいたったあるとき、運転中にこみあげてくる
ものがあって、それは父によく似た男性を歩道で見たときで
号泣した記憶がある。
何故そんなに哀しいのか、今でも分からない。
分かりたくないのかもしれない。
母に頼られるいい子の娘をやっていた私は、人に甘えられない
大人になっていった。
「いい子だ、こっちへおいで」なんておじぃ様に言われたら
ゴロゴロと咽喉を鳴らすだろう。
うんと年上の男性に憧れる癖は、これからもずっと続く。
もう、結構いい年をしたおばちゃんが…